今までブログ等も行っていない代表取締役笹沢茶々丸が今思うことを不定期で気ままに書いていきます。
きっと重要な事は書かないと思いますが、もし気になった人は読んでみて下さい。

2016.03.03
【さよならRADIO】
うちのタレント川島愛里沙が出演する舞台『さよならRADIO』を観劇してきた。
コルバタさんという演劇プロデュース団体の主催公演。劇場は西日暮里にある戸野廣浩司記念記念劇場。 キャパは70~80人位だろうか?楽屋から舞台までランウェイがあるちょっとユニークな劇場です。
川島は昨年4月に弊社芸能事情部メディアンプロに所属、女優を目指してがんばっている。 とはいえ目指しています!と口だけじゃダメだしレッスンだけでも弱い。ということで昨年12月、 今年1月、2月と3ヶ月連続舞台出演をさせた。やはり芝居は諸先輩方に混じって現場で学ぶのが1番。 脚本、演出はもうつきあいの長いピン芸人の友池さん。前回1月の舞台でもお世話になり内容も評判も 良かったので再度お願いしたのです。
舞台の感想を長々書いてもしょうがないので一言で言うと今回も大変良かったです。 随所に笑いがおこり評価も上々、連日満員で補助席が出るほどでした。 友池さんいつの間にかこんなに力をつけたんだな~と、そっちにも関心。 ただ個人的には前作の『追憶ベイビー!』の方が良かったね。
今回はミニFM局とはいえラジオ局が舞台。そしてアイドルが出てきたりと、ちょっと自分にとっては 身近すぎるんですよね。人が笑えるところで笑えない……。

自分は映像畑の人間なので本当に舞台の演出って難しいと思う。映像の人間はあくまでもその1シーン1シーンを モニターサイズで切り取っていく作業なので。もちろんこれはこれで難しいんだけど。
役者も本番はNGだしたらアウトだし!舞台は生ものなので。映像は何度もリテイクできるからね。 それは映像では良いけど生の芝居はイマイチという役者も出てきますよ!映像はその後色々加工もできるからね。
演出はともかく、いずれは舞台のプロデュースを手掛けてみたいとは思っています。脚本もやろうかな?

▼作・演出の友池さん。松竹芸能のピン芸人ですが、舞台の作・演出は友池一彦でやっているそうです!
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2016.02.24
【今年の目標!】
気づけば2016年も既に2カ月もたちます。ここで今年?というよりここ1~2年の目標を自分にプレッシャーをかける為にも 書いておこうと思います。
自分は有言実行です。合理主義のリアリストで妄想はしません。そして嘘が大嫌いなので嘘をつかない。つかれるのも嫌なので 約束は守ります。もちろん冗談は言うよ!
そして誰に対してもそうですが、できもしない夢物語や高すぎる目標は言わないです。特にうちや周りのタレントに対しては言いません。 なぜか? できなかった時にがっかりさせるのも嫌だし嘘つきとか言われたくないからです。ここを目指そう!という事は言いますが、 その場合はちゃんと順序だって小さな目標をたてつつ説明します。全てがうまくいけばそうなるはず!という感じです。 なのでうちのタレントには自分の話を良く聞いて、完璧は無理でも8割9割は実行して欲しいです。過去何百人とみてきたゆえの判例を元に 言っているので、その方が夢に近づけると確信しているからです。
自分は完全にコツコツタイプです。何事も時間がかかるのはわかっています。特にタレントのような人の成長はかかります。 でも若い人は焦っているというか、すぐできるのではないかと思いがちで正直不思議です。 物事はそんな簡単に希望通りにはならないし、その為には地味な努力の積み重ねが必要です。よほど自分に自信があるのか天才だとでも 思っているのか? むしろ天才と言われる人の方が何年も努力してますよね。特にアスリートには顕著に現れていると思います。 常日頃言うことですが、自分が努力しているという以上の努力をしないと周りは評価してくれません。正直みんなまだまだ努力が足りないと思います。

さて、とにかく今やりたいことが多いです。昨年は大きな理不尽な出来事に巻き込まれてしまったので余計かも知れません。 うちのタレント達も少しづつ成長してきているし数も増えてきているので、仕事を作ってあげたいという気持ちもあります。 とりあえず優先順位は無視してやりたいことを列記してみます。ただ日頃の仕事を充実させるとかは省きますよ。

・ゲーム企画。久しぶりに1からゲームデザインをやりたい!元々自分はゲームデザイナーですから。
・アニメ製作。ショートやWEBでもいいので10年ぶりにがっつり携わる。できれば音響監督をやる!
・映画製作。本当は昨年アキバ系BBCが10周年だったのでやりたかった。5周年の時にはやったので。
・長編脚本の執筆。映画か舞台か何にするか決めていないので、しっかりとプロットを書いておこう。
・音楽イベントの充実。年2回開催しているアニソンライブ『Brilliant』シリーズの拡大。

先に述べたように自分はできない夢物語は言わない。上記は過去やったことがあるものです。なのでハードルが高いものもありますが、 やろうとすれば全てできることです。そもそも基本は物理的な理由を除けば、できない事はないと思っています。 だけどここ数年は色々な事情でできていない。と言うか自分がそんな意欲を持てていなかったというのが本音です。
しかし昨年から、このままこなしていくだけの仕事をしていてもつまらないな~と感じ始めました。また色々と意欲的に活動する人達との 出会いがあり、そういう人達を見ていると、自分もまだおとなしくなる年でもないし頑張ってみようと思いました。
1番のハードルはやはりお金です。自前でそんなお金はないのでスポンサー探しからやらないといけない。これが大変だから簡単にはできないのですが、 実はお金持ちを口説く仕組みは簡単で出資額以上のリターンが見込めればいいのです。要するにそういう企画を作る!というのが自分の仕事です。 プランナーであると同時にプロデューサーですから、プロデューサーなら金を持って来い!という当然の話です。
プレイステーショの初期はペラ10枚程度の企画書で数千万という開発費がでました。ある意味いい時代だったのか弊社が1番バブルな時です。 もちろんそれに見合うだけの企画を作っていたという自負はあります。

そして上記とは別に海外への展開もあげておきます。近年アジア諸国で日本のアニメやコスプレ等、ヲタク文化が人気なのは承知の事ですが、 昨年よりそちらの仕事の絡みがちょっと増えてきました。これを自分が積極的に動くことで仕事になるのではないかと思いました。 もちろん海外とのことなのでハードルはすごく高いです。言葉の障害もあります。でも、やろうとする意欲と戦略をもってすればできない事 なんかないと思います。なので海外へのビジネス展開を増やせればと思います。とりあえず来月また香港に行ってきます!
ぶっちゃけ自分がバリバリ仕事ができるのはあと10年位でしょう。なのでこれから10年全快で仕事に取り組もうと決意しました。 いや、今まで手を抜いていたわけではないですよ。自分で言ってしまいますが自分が本気になった時はすごいよ!すごい熱量で突進するし 休みなんか取りません。
気がかりは自分の動きに周りが付いてこれるか? 過去にも気がついたら誰も付いて来てなかった。という事もありました。 付いて行く気がなくなったのか、付いて来れなかったのかは分かりませんが。なのでうちのスタッフやタレントが付いて来れるかな? でも必死に付いて来た人は確実に力がつき、夢に近づくはずです!
もちろん仕事をしながらも楽しむ事も忘れません。今までも嫌な仕事もいっぱいありますが、その中でも自分のやりがいを見つけてやってきました。 夢中になりながらも時に冷静に判断していく。何事もバランス感覚が大事なのは、さすがに理解できている年齢です。
思えば20年間やりたいようにやってきました。もちろんそれは一言では言えないような苦労が多々ありました。 地位も名誉も金も何のバックボーンもない自分がやりたいことをやるには、知恵を絞り汗をかくしかない。普通の生活はとうに捨ててますが、 楽しく仕事できることを誇りに思います。

▼最近読んだ『女子高生ビジネスの内幕』面白かった!やっぱりJKリフレとかJK散歩とか限りなくブラックだよ!うちの番組『ばきゅん!』は 健全だなぁ~。
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2016.02.16
【石戸なつみ3rdBDワンマンライブ!】
2/6(土)うちの番組の1つ『青空演技研究団』にレギュラー出演している石戸なつみの3rdバースデーワンマンライブを見に行った。 3rdということだから3回目で昨年は見てないが1回目は見に行ったっけ。確か大雪の次の日で雪がすごく残っていたから行くの止めようかな~ と思った気がする。
石戸との出会いはたぶん4年くらい前だろうか?前の事務所にいる時に当時のマネージャーから紹介されたのだ。 その事務所に入る前にフリーで地下アイドルをしていたらしいが、どのくらい前からやっていたのかはよく知らない。 スタートからフリーでの活動は難しく所属することなったようだ。地下アイドル系なのでそんな芸能がっつりではないが。

余談だが地下には事務所がたくさんある。中には会社法人じゃなかったり本業は何をしているのか分からない個人だったり。 そしてそこに所属?している人も多数いる。正直この人がこの事務所じゃもったいないな~と思う人もごくたまにいる。
地下アイドルを否定はする気は毛頭ない。楽しんでくれている人がいる限り1つの文化であり、今のライブアイドルブームの 源流は地下にこそあると思っている。ただ本当にメジャー(売れること)を目指すのならスタート地点を間違えちゃいけない。 スタート地点により次のステージまでの距離が変わってくるからだ。むしろある地点までしかいけないのがほとんどだ。 もちろん地下でしか活動できないというクオリティの人もいるよ。
上を望まず今のステージで楽しんでいる人が多いのも事実であり、その場合はタレント面せずに趣味でやっています!と宣言して欲しい(笑)。
この地下アイドルに関する考えは千差万別で人により考えは違う。10年以上この世界を見てきた自分の考えもあるので、 いずれじっくりと書いてみたい。

話を戻します!石戸は当時から声はよく出ていてパワフルであったが粗いなぁ~という印象をもったと思う。 のちに教えてもらったが元々声優を目指していたらしく、養成所をでて某事務所の預かりになったようだが1年で上がれず、 フリーでライブ活動を始めたらしい。
当時のマネージャーがよく面倒を見ていたし、真面目で一生懸命さは伝わってきたので好感は持っていた。 そしてちょうど新人声優系の番組のレギュラー枠が空いたのでレギュラー出演となったのです。 それがもう2年半前くらいの話ですね。

その後も月10本以上のライブ活動を続け気づけば黒髪ロングから金髪のショートへ。 オリジナル曲もメタルロック調になり、ファンを叩くというパフォーマンスを取り入れたり、人気・実力をつけていった。 ステージの粗暴さとは違い、いたってユニークなキャラクターで愛嬌もある。そして泣き上戸のようだ。
アニメやゲームも大好きで基本は腐女子だよ。声優としての下地はあるので『学都戦記レリックハート』では、 声優の仕事もやらせてみた。主題歌も『青空演技研究団』レギュラーの清水美紗、凪沢怜奈と共に歌ってもらった。 普段とは違う声質にしたキャラだったので、さすがに苦戦はしていたね。

声優アーティストを目指したいというので、今後も機会があれば声優の仕事もありだとは思っているが、 それならばもっと芝居の勉強をして欲しいとは思う。歌手としての表現力と役者としての表現力は相通じるものはあるが、 やはり違うものも多々あるからだ。でも今は声優よりももっと歌に取り込みたいという事らしい。それもありだが、 だけどもうそんな若くないよ。

常に一生懸命、真面目に取り組み頑張っている。歌唱力含めパフォーマンスもどんどん成長している。 そして自分に対する貢献度も高い(これ重要!)。なので今年は1つ大きな誕生日プレゼントを贈りました!
初の海外遠征、香港でのライブです。香港で石戸のライブがどう映るか!完全アウェーの中頑張って欲しいね!

▼渋谷ギルティ前。それにしてもここのライブハウスが分かりにくかった!
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2016.02.07
【会社設立の経緯】
3月で会社設立から20年です。その前はゲームメーカーで所謂サラリーマンでした。
自分が入社した時は20人程度の小さな下請けのゲームソフトの開発会社でした。しかしその後メーカーとなり 瞬く間に会社は大きくなっていったのです。ゲーム業界はまさにバブル期といっていいでしょう。
デザインの勉強をしていた自分はグラフィッカーとして入社して、その後宣伝からもろもろ。 とにかく刺激的で面白く社会やビジネスの基礎をしっかり作ることができました。 そこは素直に今も感謝していますし会社が大きくなっていく過程を体験できたのも良かったです。
会社がどこか? 自分が誰でどのポジションにいたか? 知っている人もいると思いますので この辺はもう省きます。

約8年勤めて退職しフリーのプランナーになりました。 自分で言うのも何ですがゲーム業界ではちょっと名前が通っていたので色々な仕事をいただきました。
ゲーム企画に始まりコンサルティング的な事、ゲーム学校での非常勤講師、またテレビ番組制作やイベント等。
宣伝・プロモーション畑にいたので、メディア含め人脈は多かったし、イベント業務にも長けていました。
常に真面目に積極的に働いていたので評価されていたのではないかと?何より優秀だったし!使いやすかっただけかもだけど?
まだまだ成熟していない業界だったので、若い人間が活動しやすい土壌もあったんですよね。
中でも執筆活動は積極的にやりました。ライターとしてやりたかった事が1つあって、宣伝の仕事をしていて、 ずっと気になっていた事がゲーム業界にジャーナリズムはないことです。 なので本気でゲームのジャーナリズムを追求したく、業界紙で記事を書いたり出版社に企画を提案したりもしました。
でもゲームジャーナリズムの企画が通る訳ないです。広告収入が見込めなくなる可能性がありますからね。
業界とは常に相互関係です。別に批判したかった訳ではありませんが『良い物は良い、悪い物は悪い!』と言った方が みんなの為だと思っていたのです。当時から無駄に正義感は強かったみたい。若かったしね。
今でこそ世の中にはグレーも必要なんだと理解しています。でも今だに言いたくなる事は多いです。 ですがいつの頃か『人は人、自分は自分』と思うようになり、周りはあまり気にしなくなりました。 それでも自分の周りにいる人達には言ってしまう事があります。 余計なお世話かもしれませんが何かの縁で知り合ったのだから、みんな幸せ?ちょっとオーバー?良くなって欲しいと思うからです。 偽善ぶるつもりはないですが相手の為になれば、頼まれたのでとやってしまう事が多いです。結果よく裏切られてしょげています。 自業自得なのかも知れませんが、何度同じ目にあっても懲りないのはもうバカとしか言えないのではないかと反省はするんだけどね。

そんな期間が1年ほど続き会社を設立することになりました。
理由は簡単です。ゲーム開発のためにメーカーさんと契約をするのですが、個人と何千万円という契約はできない!という事です。 既にスタッフは集まっていて小さな仕事は始めていましたが、0が1つ2つ増えてきたのです。なのでそのまま会社法人にしたという訳です。
自分としてはやりたい企画の開発ができればそれで良かったのですが、やはり社会は好き勝手にはさせてくれません。好きで作った訳ではないですが、 今は会社にして良かったと思っています。やはり個人活動の限界や法人会社としての社会的義務や信用はあると思っていますので。
それが1996年3月の事です。

▼メーカー時代の自分のグッズです!何でこんな物まで出来たのか?今にしてみれば不思議ですよね。
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2016.01.28
【2016年3月で20周年だった!】
HPを作り直していて気がついた。今年の3月で会社を設立して20周年を迎えるのでした。
20年間あっという間な気もしますが、とにかく楽しい事、辛い事たくさんありました。
基本あまり過去は振り返らない人なのですが、自分の半生やこれからの目標を今後の20年を 頑張るために書いていこうと思います。
時に実名がでてくる場合があるかもしれませんが、第三者に配慮してイニシャル表記にするかも しれません。ですが全て実話として思い出せる限り書きます。別に暴露ネタを書く訳ではないですが、 芸能関係に触れて、現在も活動している人に迷惑はかけたくはありませんので。 あっ、もちろん引退して一般人として生活している人にもね。
あくまでも自分の身近に起こった出来事であり些細な事で皆さんには何も影響ありません。 ただ、その時どう思ったのか? そしてそこから学んだ事などが全て今の自分を形成しているのは 事実であり、それが誰かの参考意見になっていただけるのであれば幸いです。

とりあえず自分はどんな人間なのか?
2011年2月に発売された、声優・アイドルサブカル誌『VOICHA!』で始まったコラムを掲載しておきます。 ここで自己紹介的なものを書いています。
「えっ、小さくて読めない?」 う~ん確かに。まぁ、そのうちこれもテキストとして掲載します。表紙がももクロちゃん。 もちろん今ほどメジャーではないですが、この時から売れ始めていましたね。

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